top of page

観光する(景勝地・神社仏閣・史跡)
自然・景勝地
◆自然・景勝地・レジャー

歴史公園えさし藤原の郷(江刺)
*写真提供:えさし藤原の郷
平安時代の歴史テーマパーク。
「奥州市江刺」は奥州藤原氏初代清衡公とその父・経清公が住んだ土地です。
清衡公は2011年6月、ユネスコの世界文化遺産に登録された平泉にある「金色堂」を建立した方です。
『歴史公園えさし藤原の郷』は平成5年(1993)、この奥州藤原氏の興亡を題材にした大河ドラマ「炎立つ」の撮影を機に整備された平安時代の歴史テーマパークです。
約20ヘクタールの敷地に、日本で唯一、平安貴族の住宅、寝殿造の建物を再現した「伽羅御所」や、武家館を再現した「経清館」、「清衡館」、政治を司る「政庁」など、大小約120棟の建物が建てられています。
建物の中では、時代衣装や鎧の着付、弓矢や貝合わせなど、様々な体験で楽しむことができます。
四季折々には、桜や藤、ツツジ、紫陽花、睡蓮、萩、紅葉などの花々も彩りを添えています。(『えさし藤原の郷』公式サイトより引用)
〒023-1101
岩手県奥州市江刺岩谷堂字小名丸86-1
TEL.0197-35-7791
平安時代の歴史テーマパーク。
「奥州市江刺」は奥州藤原氏初代清衡公とその父・経清公が住んだ土地です。
清衡公は2011年6月、ユネスコの世界文化遺産に登録された平泉にある「金色堂」を建立した方です。
『歴史公園えさし藤原の郷』は平成5年(1993)、この奥州藤原氏の興亡を題材にした大河ドラマ「炎立つ」の撮影を機に整備された平安時代の歴史テーマパークです。
約20ヘクタールの敷地に、日本で唯一、平安貴族の住宅、寝殿造の建物を再現した「伽羅御所」や、武家館を再現した「経清館」、「清衡館」、政治を司る「政庁」など、大小約120棟の建物が建てられています。
建物の中では、時代衣装や鎧の着付、弓矢や貝合わせなど、様々な体験で楽しむことができます。
四季折々には、桜や藤、ツツジ、紫陽花、睡蓮、萩、紅葉などの花々も彩りを添えています。(『えさし藤原の郷』公式サイトより引用)
〒023-1101
岩手県奥州市江刺岩谷堂字小名丸86-1
TEL.0197-35-7791

種山高原(江刺)
北上山地上にある高原。
モナドノックという特有な地形です。
眼下には奥州市の街が。
宮沢賢治も度々訪れ作品
のモチーフとなりました。
カーサイト、コテージ、野草風呂、キャンプ場がある「星座の森」もあります。
*リンク先の「周辺マップ」の茶線による道は山林内の登山道ですので、熊対策を行った上での山歩き経験者向きの道です。
「物見山山頂」へのルートは、低木の開けた道ですので、初心者向きです。(音を出しながら歩くなど熊対策をお願いします)
モナドノックという特有な地形です。
眼下には奥州市の街が。
宮沢賢治も度々訪れ作品
のモチーフとなりました。
カーサイト、コテージ、野草風呂、キャンプ場がある「星座の森」もあります。
*リンク先の「周辺マップ」の茶線による道は山林内の登山道ですので、熊対策を行った上での山歩き経験者向きの道です。
「物見山山頂」へのルートは、低木の開けた道ですので、初心者向きです。(音を出しながら歩くなど熊対策をお願いします)

人首川沿い遊歩道(江刺)
写真は人首川にかかる大橋から上流を見てのもの。
左手に小さな展望スペースがあります。
右手に、岩手県初の西洋医学の総合病院として、明治8年に開院した、旧岩谷堂共立病院の建物(日本建築の技法に西洋のデザインを取り入れている)が見えます。
経営難のため明治11年に閉院しましたが、江刺市役所など歴代様々な公共施設として使われてきました。
昭和54年に県の有形文化材に指定され公開されています。
川の奥は、渓谷に。
川を堰き止めて農業用水として、用水路に流し込む「頭首工」(重染寺頭首工)のとんがり屋根や、渓谷を渡るため、ものすごく高い所に架かる「夢乃橋」。
それをくぐる遊歩道が川沿いにあります。
のんびりゆっくりのどかな川べりを歩いてみては。
徒歩2分のところに、市営の無料駐車場があります。(奥州市江刺河原町3-5)
左手に小さな展望スペースがあります。
右手に、岩手県初の西洋医学の総合病院として、明治8年に開院した、旧岩谷堂共立病院の建物(日本建築の技法に西洋のデザインを取り入れている)が見えます。
経営難のため明治11年に閉院しましたが、江刺市役所など歴代様々な公共施設として使われてきました。
昭和54年に県の有形文化材に指定され公開されています。
川の奥は、渓谷に。
川を堰き止めて農業用水として、用水路に流し込む「頭首工」(重染寺頭首工)のとんがり屋根や、渓谷を渡るため、ものすごく高い所に架かる「夢乃橋」。
それをくぐる遊歩道が川沿いにあります。
のんびりゆっくりのどかな川べりを歩いてみては。
徒歩2分のところに、市営の無料駐車場があります。(奥州市江刺河原町3-5)

散居集落(胆沢)
*写真提供「胆沢まるごと案内所」
「散居」というのは、田畑が広がる平地の中に、木々を家屋の周囲に植えて(エグネ)風よけにした姿が、点々と広がっている風景を言います。
奥州市の胆沢平野(胆沢川が作った日本最大級の扇状地)の散居は、 富山県の砺波平野、島根県の出雲平野、と共に、日本三大散居集落といわれています。
その様子を見ることができるおすすめポイントは、「見分森展望台」です。(写真)
「散居」というのは、田畑が広がる平地の中に、木々を家屋の周囲に植えて(エグネ)風よけにした姿が、点々と広がっている風景を言います。
奥州市の胆沢平野(胆沢川が作った日本最大級の扇状地)の散居は、 富山県の砺波平野、島根県の出雲平野、と共に、日本三大散居集落といわれています。
その様子を見ることができるおすすめポイントは、「見分森展望台」です。(写真)

徳水園・円筒分水(胆沢)
岩手県奥州市胆沢にある、公園「徳水園」。
胆沢川から、胆沢扇状地の田に水を供給するための、日本最大級の円筒分水があります。
稲作が始まる4月中旬過ぎから、終わる10月まで、胆沢川の水を引き入れ、迫力ある水の流れは物凄い迫力!
円筒からの噴水も見ることができます。
周辺は、水に親しむ「アクアパーク」となっていて癒しの空間になっています。
胆沢川から、胆沢扇状地の田に水を供給するための、日本最大級の円筒分水があります。
稲作が始まる4月中旬過ぎから、終わる10月まで、胆沢川の水を引き入れ、迫力ある水の流れは物凄い迫力!
円筒からの噴水も見ることができます。
周辺は、水に親しむ「アクアパーク」となっていて癒しの空間になっています。

胆沢ダム・馬留眺望広場より見上げる(胆沢)
石を積み上げて作るロックフィルダムを、見上げる迫力があります。
春先には、胆沢川からの雪解け水を放流する「白糸の滝」も見ることができます。
*プレミアムタクシー 3時間コース「奥州湖の絶景スポット巡り」(15000円)のコースに入っています。
春先には、胆沢川からの雪解け水を放流する「白糸の滝」も見ることができます。
*プレミアムタクシー 3時間コース「奥州湖の絶景スポット巡り」(15000円)のコースに入っています。

胆沢ダム堤頂からの景色(胆沢)
胆沢ダム堤頂から胆沢扇状地を望む。
胆沢ダムは、扇状地の扇の要の部分にあたるので、広がる扇状地を見下ろすことができます。
ダムは山中に造られるため、周りを山に囲まれていることが多いのですが、ここは、広々と遠くを見渡せる珍しいダムで、眺望がすばらしいです。
*プレミアムタクシー 3時間コース「奥州湖の絶景スポット巡り」(15000円)のコースに入っています。詳しくはカテゴリの「タクシー」をご覧ください。
胆沢ダムは、扇状地の扇の要の部分にあたるので、広がる扇状地を見下ろすことができます。
ダムは山中に造られるため、周りを山に囲まれていることが多いのですが、ここは、広々と遠くを見渡せる珍しいダムで、眺望がすばらしいです。
*プレミアムタクシー 3時間コース「奥州湖の絶景スポット巡り」(15000円)のコースに入っています。詳しくはカテゴリの「タクシー」をご覧ください。

奥州湖(胆沢)
胆沢ダムによりせき止められた胆沢川によって生まれた湖。
SUPによる湖面散策できるウォターアクティビティーも盛んにおこなわれています。
SUPによる湖面散策できるウォターアクティビティーも盛んにおこなわれています。

つぶ沼(胆沢)
胆沢ダム管理事務所をさらに西へ行ったところにある沼。
沼に沿ってオートキャンプ場などのキャンプ施設がある。
かつては、奥州湖底に沈んだ石淵の町を過ぎ、さらに秋田へ進む仙北街道の坂道を上りきったところに位置していましたが、今は胆沢ダム建設と共にできた新しい仙北街道から一関に向かう新しい道に折れた場所となりました。(沼が移動したのではなく新しい道ができたことで位置関係がかわったのです)
この沼は、胆沢の町に住んでいて、川魚を取って売りながら細々と暮らしてい若者が、釣鐘ほどの大きなつぶ(たにし)を取り、秋田へ売りに行こうとした途中、つぶから声が聞こえたので気味悪がり、つぶを捨てて逃げたら、大雨になり、そこに雨水がたまってできた、といわれてます。
今でも雨乞いをするときには、この沼をかき混ぜ、ここに住む大つぶを怒らせ雨を降らせようとするそう。
沼に沿ってオートキャンプ場などのキャンプ施設がある。
かつては、奥州湖底に沈んだ石淵の町を過ぎ、さらに秋田へ進む仙北街道の坂道を上りきったところに位置していましたが、今は胆沢ダム建設と共にできた新しい仙北街道から一関に向かう新しい道に折れた場所となりました。(沼が移動したのではなく新しい道ができたことで位置関係がかわったのです)
この沼は、胆沢の町に住んでいて、川魚を取って売りながら細々と暮らしてい若者が、釣鐘ほどの大きなつぶ(たにし)を取り、秋田へ売りに行こうとした途中、つぶから声が聞こえたので気味悪がり、つぶを捨てて逃げたら、大雨になり、そこに雨水がたまってできた、といわれてます。
今でも雨乞いをするときには、この沼をかき混ぜ、ここに住む大つぶを怒らせ雨を降らせようとするそう。

胆沢扇状地内の5つの河岸段丘(胆沢)
*写真提供「胆沢まるごと案内所」
最大級の扇状地胆沢扇状地内にある5段の河岸段丘を一直線に走ることができるあじさいロード。(写真は、いさわ産直センターあじさい 横より撮影)
最大級の扇状地胆沢扇状地内にある5段の河岸段丘を一直線に走ることができるあじさいロード。(写真は、いさわ産直センターあじさい 横より撮影)

菊の滝(衣川)
源頼朝から逃れた源義経と妻「北のお方」も見たといわれていて、二人が詠んだ句も残っています。
義経の館は、平泉ではなく、平泉と衣川を挟んだ場所、衣川にあったといわれています。
かつては、段差が大きかったので、滝は、もっと落差があったそうですが、浸食や崩落で流れも変わったらしいです。
新暦端午の節句が近づくと鯉のぼりが泳ぎます。
義経の館は、平泉ではなく、平泉と衣川を挟んだ場所、衣川にあったといわれています。
かつては、段差が大きかったので、滝は、もっと落差があったそうですが、浸食や崩落で流れも変わったらしいです。
新暦端午の節句が近づくと鯉のぼりが泳ぎます。
◆神社・仏閣
神社・仏閣
◆史跡
♦散策
bottom of page