top of page
◆岩石、地層、化石

<5~4億年前>日本最古の岩盤「母体変成岩類」の岩壁(水沢)
形成されたのはカンブリア期。(5~4億年前)
はるか南の海の堆積物が岩石になったものが、プレートに乗ってアジア大陸(ゴンドワナ大陸)までやってきて、大陸の中に滑り込む時に高圧の力を受けてできました。
できた岩石は、大陸のふちにつきました。
その後2300万年前、大陸の端が分断され、現在の日本列島の位置(北上山地・奥州市前沢母体)に移動しました。
奥州市前沢生母の不動明王の奥にある滝の岩壁が母体変成岩。
はるか南の海の堆積物が岩石になったものが、プレートに乗ってアジア大陸(ゴンドワナ大陸)までやってきて、大陸の中に滑り込む時に高圧の力を受けてできました。
できた岩石は、大陸のふちにつきました。
その後2300万年前、大陸の端が分断され、現在の日本列島の位置(北上山地・奥州市前沢母体)に移動しました。
奥州市前沢生母の不動明王の奥にある滝の岩壁が母体変成岩。

<5~4億年前>蛇紋岩の岸壁(水沢)
形成されたのは古生代前期。(5~4億年前)
蛇紋岩は、マントルからできた岩石が地下深くで水と作用してできた岩石。
アジア大陸(ゴンドワナ大陸)の地下深くで形成されました。
その後アジア大陸(ゴンドワナ大陸)のふちに滑り込む圧力でできた母体変成岩とくっつきました。
2300万年前に、大陸の縁が分断した時に、母体変成岩と一緒に、現在の場所に移動。
日本列島を形作る基盤となりました。
奥州市水沢の正法寺手前の岩壁。
蛇紋岩は、マントルからできた岩石が地下深くで水と作用してできた岩石。
アジア大陸(ゴンドワナ大陸)の地下深くで形成されました。
その後アジア大陸(ゴンドワナ大陸)のふちに滑り込む圧力でできた母体変成岩とくっつきました。
2300万年前に、大陸の縁が分断した時に、母体変成岩と一緒に、現在の場所に移動。
日本列島を形作る基盤となりました。
奥州市水沢の正法寺手前の岩壁。

<5~4億年前>蛇紋岩を使った階段(正法寺)(水沢)
形成されたのは古生代前期(5~4億年前)。
岩手県奥州市水沢の正法寺近くの崖から切り出して階段を作りました。
岩手県奥州市水沢の正法寺近くの崖から切り出して階段を作りました。

<5~4億年前>枕状溶岩(江刺)
形成されたのは古生代前期。(5~4億年前)
枕状溶岩というのは、マグマが海底から噴き出したときに、海水で急に冷やされ、次々と固まり枕のような形になった岩石のことです。
海から遠い江刺の地になぜあるのでしょうか。
できた年代から考えると、母体変成岩を作った海の堆積物の中に取り込まれたのではないか、とのことです。
2300万年前に、大陸の縁が分断した時に、母体変成岩と共に現在の位置に移動したと考えられています。
枕状溶岩というのは、マグマが海底から噴き出したときに、海水で急に冷やされ、次々と固まり枕のような形になった岩石のことです。
海から遠い江刺の地になぜあるのでしょうか。
できた年代から考えると、母体変成岩を作った海の堆積物の中に取り込まれたのではないか、とのことです。
2300万年前に、大陸の縁が分断した時に、母体変成岩と共に現在の位置に移動したと考えられています。

<4~3億年前>シルトスピリファーの化石(熱帯の海からやってきた)(前沢)
シルトスピリファーは、古生代デボン紀の生き物です。
4~3億年前に、熱帯の海の沈殿物が固まってできた岩石が、プレートに乗ってアジア大陸(ゴンドワナ大陸)の南側のふちにくっつきました。
2300万年前に、大陸から分断され、今の場所まで移動し日本の基盤になりました。
その岩盤の中には、様々な化石が含まれています。
そのひとつ、腕足類のシルトスピリファーの化石が、奥州市前沢生母富士の根で発見され、現在は「牛の博物館」に所蔵されています。
見たい方は、事前に問い合わせください。
4~3億年前に、熱帯の海の沈殿物が固まってできた岩石が、プレートに乗ってアジア大陸(ゴンドワナ大陸)の南側のふちにくっつきました。
2300万年前に、大陸から分断され、今の場所まで移動し日本の基盤になりました。
その岩盤の中には、様々な化石が含まれています。
そのひとつ、腕足類のシルトスピリファーの化石が、奥州市前沢生母富士の根で発見され、現在は「牛の博物館」に所蔵されています。
見たい方は、事前に問い合わせください。

<1億2000万年~1億年前>モナドノック(残丘)(種山高原・物見山)(江刺)
種山高原
は、もともとは、古い地層が隆起してできた高い山でしたが、長い間風雨などで削られ、地下にあった溶岩が固まってできた岩盤部分が現れた、なだらかな丘上になった土地です。そのような土地を「残丘(モナドノック)といい、岩手県の代表的なモナドノックとなっています。
は、もともとは、古い地層が隆起してできた高い山でしたが、長い間風雨などで削られ、地下にあった溶岩が固まってできた岩盤部分が現れた、なだらかな丘上になった土地です。そのような土地を「残丘(モナドノック)といい、岩手県の代表的なモナドノックとなっています。

<1億2000万年~1億年前>花崗岩(阿原山高原の転石)(江刺)
中生代白亜紀(1億2千年~1億年前)、アジア大陸の地下深くでは、マグマがゆっくりと冷え固まり花崗岩が形成されていました。
また、暖かな南の海で生息していたサンゴの死骸がプレートによって運ばれ
アジア大陸のうちにくっついて岩石になった石灰岩の中に、地下からマグマが上昇して入り込み、その熱と圧力で、古い岩石が変成したり、金や銅、鉄などの鉱物の鉱床ができました。
その後、2300万年前、アジア大陸のふちが分断され、移動し現在の日本の場所に移動する時、つくられた花崗岩や石灰岩。鉱床も一緒に移動してきました。
北上山地の山のひとつ「阿原山」山頂付近には花崗岩の転石が見られます。
また、平泉に金色堂を建立した奥州藤原氏は、奥州市江刺の出で、平泉に黄金文化が栄えたこと、また奥州市水沢で鉄器の生産が盛んなことは、ここに起因します。
阿原山は5月の最終日曜日が山開きです。
また、暖かな南の海で生息していたサンゴの死骸がプレートによって運ばれ
アジア大陸のうちにくっついて岩石になった石灰岩の中に、地下からマグマが上昇して入り込み、その熱と圧力で、古い岩石が変成したり、金や銅、鉄などの鉱物の鉱床ができました。
その後、2300万年前、アジア大陸のふちが分断され、移動し現在の日本の場所に移動する時、つくられた花崗岩や石灰岩。鉱床も一緒に移動してきました。
北上山地の山のひとつ「阿原山」山頂付近には花崗岩の転石が見られます。
また、平泉に金色堂を建立した奥州藤原氏は、奥州市江刺の出で、平泉に黄金文化が栄えたこと、また奥州市水沢で鉄器の生産が盛んなことは、ここに起因します。
阿原山は5月の最終日曜日が山開きです。

<2500万年~1500万年前>珪化木(けいかぼく)(アケボノスギ)(胆沢)
岩手県奥州市胆沢の胆沢文化創造センターの西側に(図書館の軒下)設置されている、「天然記念物 珪化木(けいかぼく)」。
「珪化木」というのは、大木が、地殻変動などで、地中に埋もれ、次第に、木の細胞がケイ素を含んだ鉱物と入れ替わり石のようになったもの。
2300万年前に、日本列島が大陸から分断された後には、火山活動が活発になりました。
発見場所は、奥州湖からの北方向の支流、尿前川(しとまえがわ)沿い。
日本海側の造山運動(奥羽山脈形成)の時(1500万年から2500万年前)につくられました。
現在、発見場所は、胆沢ダム建設により、奥州湖の中に。
「珪化木」というのは、大木が、地殻変動などで、地中に埋もれ、次第に、木の細胞がケイ素を含んだ鉱物と入れ替わり石のようになったもの。
2300万年前に、日本列島が大陸から分断された後には、火山活動が活発になりました。
発見場所は、奥州湖からの北方向の支流、尿前川(しとまえがわ)沿い。
日本海側の造山運動(奥羽山脈形成)の時(1500万年から2500万年前)につくられました。
現在、発見場所は、胆沢ダム建設により、奥州湖の中に。

<2300万年前>カルカロドン・メガロドン(サメ)の歯、二枚貝の化石(衣川)
新生代新第三期中新世(2300万年前)、北上山地部は陸でしたが、その周りは海でした。
その頃の生き物の化石が奥州市衣川で見つかりました。
奥州市衣川の「衣川セミナーハウス」2階に展示されています。
普段は公開していませんが、事前連絡にて見せてもらえます。
岩手県奥州市衣川古戸29-2
電話:0197-52-3900(代表)
その頃の生き物の化石が奥州市衣川で見つかりました。
奥州市衣川の「衣川セミナーハウス」2階に展示されています。
普段は公開していませんが、事前連絡にて見せてもらえます。
岩手県奥州市衣川古戸29-2
電話:0197-52-3900(代表)

<2300万年前>サメの歯の化石発見場所(衣川)
衣川消防署近く「六道」バス停付近より北に向かう道路工事中に、切通の壁より発見されました。
更に上るとアケボノゾウの足跡の場所となり、この道路は「衣川地史ロード」と名付けられました。
つまり低地より坂を上ると現代に近付いていきます。
更に上るとアケボノゾウの足跡の場所となり、この道路は「衣川地史ロード」と名付けられました。
つまり低地より坂を上ると現代に近付いていきます。

<500万年前>マエサワクジラの全身骨格化石(前沢)
新生代新第三期鮮新世(500万年前)には、火山活動による造山や隆起により奥羽山脈が形作られました。
奥羽山脈と北上山地の間は海で(古仙台湾)、現在の北上市に至り、クジラも泳いでいたようです。
クジラの全身骨格化石が前沢で見つかりました。複製が、前沢の「牛の博物館」にて展示されています。
奥羽山脈と北上山地の間は海で(古仙台湾)、現在の北上市に至り、クジラも泳いでいたようです。
クジラの全身骨格化石が前沢で見つかりました。複製が、前沢の「牛の博物館」にて展示されています。

マエサワクジラ発掘場所(前沢)
山だった所に道を通すため、山を切り通したところ、クジラの骨や、大型の鳥の骨、貝や植物の化石か見つかりました。

<200万年前>アケボノゾウなどの動物の足跡化石(胆沢川河岸)(水沢)
新生代新第三期鮮新世後期(200万年前)には、海が後退し、奥羽山脈と北上山地の間は、湿地帯となり、そこを歩いた動物の足跡が、胆沢川河岸の泥岩に化石となって残っています。
MAPを載せていますが、河川敷までの道が整備されていないので行くことができません。
MAPを載せていますが、河川敷までの道が整備されていないので行くことができません。

<200万年前>ゾウの足跡化石
●牛の博物館(前沢)
*常時展示
岩手県奥州市前沢字南陣103-1
電話:0197-56-7666
●衣川セミナーハウス2F(衣川)
*事前連絡により見学可
岩手県奥州市衣川古戸29-2
電話:0197-52-3900(代表)
*常時展示
岩手県奥州市前沢字南陣103-1
電話:0197-56-7666
●衣川セミナーハウス2F(衣川)
*事前連絡により見学可
岩手県奥州市衣川古戸29-2
電話:0197-52-3900(代表)

<200万年前>アケボノゾウ足跡のペイント(衣川)
道路工事のため地面を掘った際にみつかったアケボノゾウの足跡。
アケボノゾウは、衣川、北上川周辺の低地の湿地帯に生息していて、河川の泥地に足跡を残しました。
その後、この場所が隆起したため、標高140Mの高さで見つかりました。
道路を舗装後、足跡をペイントしたもの。
この道を下るとサメの歯の化石の発見場所があります。
この道は「衣川地史ロード」と名付けられいます。
アケボノゾウは、衣川、北上川周辺の低地の湿地帯に生息していて、河川の泥地に足跡を残しました。
その後、この場所が隆起したため、標高140Mの高さで見つかりました。
道路を舗装後、足跡をペイントしたもの。
この道を下るとサメの歯の化石の発見場所があります。
この道は「衣川地史ロード」と名付けられいます。

<30万年~7万年前>胆沢扇状地(水沢・胆沢・前沢・衣川)
*胆沢ダム堤頂より胆沢扇状地を望む
焼石岳の噴火によってできた安山岩や凝灰岩はもろいため、胆沢川によって削られ、低地部まで運ばれ堆積していき、扇方に広がり扇状地を形成していきました。
その後、扇状地の南側の地面が隆起したため、胆沢川は南から北へと流路を変え、扇状地内に6段の河岸段丘を形成しました。
南側の一番古い段丘「一首坂段丘」は30万年前に作られ、最も新しい段丘「水沢段丘」は7万年前以降にできました。
衣川古戸から、段丘を南北に通る「あじさいロード」を走ると、6つの段丘を体験できます。
焼石岳の噴火によってできた安山岩や凝灰岩はもろいため、胆沢川によって削られ、低地部まで運ばれ堆積していき、扇方に広がり扇状地を形成していきました。
その後、扇状地の南側の地面が隆起したため、胆沢川は南から北へと流路を変え、扇状地内に6段の河岸段丘を形成しました。
南側の一番古い段丘「一首坂段丘」は30万年前に作られ、最も新しい段丘「水沢段丘」は7万年前以降にできました。
衣川古戸から、段丘を南北に通る「あじさいロード」を走ると、6つの段丘を体験できます。

<1万年前>溶結凝灰岩の柱状節理(胆沢)
新生代第四紀完新世(1万年前)に、奥羽山脈の火山活動が盛んになり火山岩や火山によって噴出された堆積物、隆起によってさらに造山されていきました。
奥羽山脈の山のひとつ「焼石岳」の高温の噴出物が流れ出て急激に冷やされて六角形の柱を形成したものが、尿前(しとね)渓谷の柱状節理です。
胆沢ダムから秋田方面に向かい、尿前橋右側に見ることができます。
奥羽山脈の山のひとつ「焼石岳」の高温の噴出物が流れ出て急激に冷やされて六角形の柱を形成したものが、尿前(しとね)渓谷の柱状節理です。
胆沢ダムから秋田方面に向かい、尿前橋右側に見ることができます。
◆胆沢扇状地
胆沢扇状地
bottom of page