指で狐を作って遊ぶ指遊び
- 奥州わらべうた遊びの会
- 2024年2月20日
- 読了時間: 4分
更新日:2月22日
「火をください」「火はここにはありません」「火はどこ?」「山を越えたところにありますよ」という内容の歌いながら、両手を組んで、または、指で狐の形を作りその指を絡ませて指をつけたり離したり、または、こぶしを作り片手の指先でつつくなど、複雑な指の動きを楽しむ指遊びが伝承されています。
地方によって、歌詞の内容の一部が取り除かれて短くなっていたり、新しい言葉が加わっていたりしています。
1831年に書かれた『尾張童集』にも、両手を狐に模した形を作り、指を絡ませ、指を動かす遊びが載っており、その手の組み方が絵で描かれています。(『日本わらべうた全集 』27巻『近世童謡童遊集』p262)
♪ あの やま こえて
この やま こえて
ひは こちこち ♪
動かし方は違いますが、組み方が似ている遊びが、『日本わらべうた全集』23巻上『福岡のわらべうた』に載っています。
(p112 伝承者 明治38年生まれ 昭和62年採集)
昔は、火をつけるのに苦労をしましたから、囲炉裏の火を絶やさないように気を付けていました。
火が消えてしまったら、隣の家にもらいに行かなくてはなりませんでした。
隣りに家がない時には、山を越えてもらいに行くこともあったと思われます。
そのような生活の様子が、このわらべうたには描かれています。
すべてではないにしろ、なぜこのような歌詞に、狐を模した手の形を作って遊ぶのか・・・・
あくまでも私の想像ですが・・・・
福島県大越町出身の父親は、子どもの頃、夜(夜といっても子どもが起きている時間ですので深夜ではないと思われます)、遠くの山影の中に、ポッと明かりがついたような光を見たそうです。
その光は、ポッ ポッとだんだんと増えていき、山火事かと思うくらいの数になったそうです。
そしてしばらくすると、ひとつ、またひとつと消えていき、最後には、また真っ黒な山影に戻るのだそうです。
「狐火(きつねび)」というのだと教えてくれました。
私は子どもの頃、その話を聞き、祖父の家にいくと、夜の暗い山影をくまなく見て、「狐火は見えないかな」と探しましたが、とうとう見ることはできませんでした。
「山を越えてもらう火」と「山影に灯る不思議な光」が結びついて、手を狐の形にしたのかもしれません。
石川県に金沢市に伝承されていた似た遊びの歌(『日本わらべうた全集』10巻上『石川のわらべうた』p90 伝承者 大正3年生まれ 昭和58年採集)の最後には、
♪ ~ あれは きつねのだまかしび ♪
とあります。
教育的に創られたわらべうた遊びの中には、
♪ ひもろ ひもろ (ひもろ=火をもらおう)
ひは どこどこよ
このやま こえて
このたに おりて
ひは ここ ここよ ♪
という歌を歌いながら、
輪になった子どもたちが、手をかるく合わせ、歌の鼓動に合わせて上下に振り、
その内側を、赤いハンカチやお手玉(火のシンボル)を持ったひとりの子どもが、同じように振りながら、
輪に沿って、鼓動(一般的には拍とも言われます)に合わせて歩き、歌が終わったところで近くの子どもに手渡して交代する、というものがあります。(『保育園・幼稚園の音楽 わらべうたの指導』コダーイ芸術教育研究所著 明治図書p117)(『コダーイ・システムによる音楽指導の実際』羽仁協子著 全音楽譜出版社 p43)
このわらべうたは、どこの地方のものか、資料から得たものであるのであれば、どの資料なのかの記載がないためわからないのですが、歌詞から、この手遊びの歌と考えることができるように思います。
もちろん、歌はわらべうたですが、昔の子ども達がこのような遊びを遊んでいて、伝承されていたわけではありません。
あくまでも、教育の目的を持って創られた遊びです。
遊ぶ道具が少ない時代、自分の体を使って遊ぶことが多く行われていました。
そのことが、子どもの体自体、また運動能力を育てたとも考えられます。
いつでも、どこでも、自分の体さえあれば、悲しい時も、淋しい時も、自分自身があれば、遊びながら昇華できる。
わらべうた遊びを知っていれば、そのようなこともできるのだと思います。
子どもは、ちょっと難しいことが大好き。
(太刀打ちできない難しさには、さっと引く場合もあります)
このような手遊びを、たくさん手渡したいと思います。
先ほど紹介した、福岡の遊び。
私には、ちょっと難しい感じがありました。
「えっ、どの指を動かすの?」。
指の動きが鈍くなっているからなのでしょう・・・
楽しみながらマスターしたいと思います。